イーサリアムの10周年は、Web3の歴史における重要な節目です。その創設者であるヴィタリック・ブテリン氏は、この革新的なプラットフォームが歩んできた道のり、現在直面する課題、そしてこれから目指す未来について、深く洞察に満ちた言葉を語っています。スケーラビリティ、プライバシー、中央集権化への抵抗――イーサリアムはどのようにして、この矛盾する要求のバランスを取り、その「魂」を守りながら進化を続けるのでしょうか? 本記事では、ヴィタリック氏への独占インタビューに基づき、イーサリアムの過去、現在、そして未来のビジョンを深く掘り下げて解説します。
1. イーサリアムの10年を振り返る:予想を超える成長と予期せぬ挑戦
イーサリアムが誕生してからの10年間は、ヴィタリック氏自身の予想をはるかに超える驚きと、数々の困難に満ちた道のりでした。当初のシンプルな構想から、いかにして現在の巨大なエコシステムへと成長したのか、その軌跡をたどります。
1.1. 予想外の軌跡:サイドプロジェクトから「世界台帳」へ
ヴィタリック氏は、イーサリアムを当初「数ヶ月で完了するサイドプロジェクト」と位置付けていましたが、その潜在力は彼の想像をはるかに超えていました。メインネットが2015年7月にローンチされて以来、そのエコシステムは指数関数的に拡大し、彼は大学に戻るという計画を変更せざるを得なくなりました。
分散型金融(DeFi:銀行のような中央管理者が存在せず、ブロックチェーン上で直接金融サービスを提供するシステム)、非代替性トークン(NFT:ブロックチェーン上で発行される、固有の価値を持つデジタルデータ)、分散型自律組織(DAO:特定の管理者が存在せず、参加者の投票で意思決定を行う組織)、イーサリアム・ネーム・サービス(ENS)、ステーブルコインなど、ホワイトペーパーには書かれていなかったか、存在が想定されていなかった多くのユースケースが爆発的に台頭しました。これらはイーサリアムが提供するスマートコントラクト(自動実行される契約プログラム)の柔軟性によって可能になったものであり、ヴィタリック氏自身も「想像をはるかに超える多くの魅力的で驚くべきもの」が生まれたと語っています。
1.2. 困難を乗り越える「エコシステム」の力
イーサリアムの歴史は、困難との戦いの歴史でもあります。「The DAO事件」における大規模なハッキングと、その後のイーサリアムとイーサリアム・クラシック(ETC)へのハードフォーク(互換性のないプロトコル変更)による分裂、そして「上海DoS攻撃」など、数々の予期せぬ試練に直面してきました。ヴィタリック氏は、これらの予測不可能な課題に対し、イーサリアムが「エコシステム全体として問題に取り組む」ことで乗り越えてきたと語ります。
「私たちは常に様々なアプローチを同時に試しています。一般的にはL1(レイヤー1:イーサリアムメインネット)ベースのアプローチと、アプリケーションレイヤーのアプローチがあり、それぞれに複数の競合するアプローチが存在することも多いです。そして、異なる取り組みの間で多くの相乗効果が生まれています。」
特にZK-SNARKs(ゼロ知識証明:秘密の情報を明かすことなく、それが正しいことを証明できる暗号技術)のような技術の成熟化は、エコシステム全体の様々な努力が同時に貢献し、互いに助け合う形で進んできたと彼は強調します。このユニークな協力と競争の文化が、イーサリアムを危機から救い、前進させてきたと言えるでしょう。
1.3. 開発の舞台裏:遅延の理由と自己基準の向上
プルーフ・オブ・ステーク(PoS:保有する暗号資産量に基づいてトランザクションを検証・承認するコンセンサスアルゴリズム)への移行や、その他の多くの技術的進展が予想よりも時間を要した理由について、ヴィタリック氏は二つの主要な要因を挙げています。
- ソフトウェア開発の固有の困難さ: 「ソフトウェアが難しい」ということを、自身の経験不足から十分に理解していなかったと彼は率直に認めます。
- 自己基準の継続的な引き上げ: 当初、数ヶ月でリリース予定だったイーサリアムのバージョンは、現在の基準では別のブロックチェーン(Primecoin)上に構築されたL2に相当するものでした。しかし、2014年1月の時点で寄せられた膨大な注目と期待を受け、「これはもっと真剣に取り組むべきプロジェクトだ」と認識し、本格的なL1としての開発を決意しました。この絶え間ない基準の向上が、結果的に開発期間を延長させた要因の一つです。
多くの人々の希望を背負ったL1としての責任感が、より堅牢で本格的なシステムを構築する原動力となり、結果としてイーサリアムの信頼性を高めてきました。
2. ヴィタリックが今、最も重視する二大テーマ:プライバシーとパブリックグッズ
イーサリアムの次の10年を展望する上で、ヴィタリック氏が特に注力しているのが「プライバシー」と「パブリックグッズ(公共財)」です。これらは、イーサリアムの根幹にあるサイファーパンクの精神を具現化し、より公正で開かれた社会を築くための鍵となります。
2.1. サイファーパンク精神の回帰:ウォレットにおける「プライバシーのデフォルト化」
サイファーパンク運動は元々プライバシーを重視していましたが、技術的な制約からビットコインは分散化を優先し、プライバシーは後回しになりました。しかし、ZK-SNARKs技術の進展により、分散化とプライバシーの両立が可能になったとヴィタリック氏は指摘します。彼は、プライバシーはもはや「ニッチな機能」ではなく、「ウォレットのデフォルト機能」になるべきだと強く主張しています。
「私たちは『プライバシーウォレット』という概念を打ち出すべきではありませんでした。プライバシーはウォレットの機能であるべきです。(中略)MetamaskやRabby、Amireといった既存のウォレットに、プライベートな残高とプライベートな送金ボタンが組み込まれるべきなのです。」
イーサリアム財団(EF)内でも、この方向への取り組みが既に始まっており、数ヶ月以内に具体的な成果が期待されています。これは、インターネットにおけるHTTPSがウェブサイトの安全性を保証するのと同様に、暗号資産の取引におけるプライバシーを当たり前にする「トラストレスなセキュリティ」の普及に向けた重要な一歩となるでしょう。
2.2. 分散型ガバナンスの再考:パブリックグッズ資金調達の未来
分散型自律組織(DAO)やパブリックグッズへの資金調達は、イーサリアムエコシステムの健全な発展に不可欠ですが、ヴィタリック氏はその現状に課題意識を持っています。彼は、既存のクアドラティック・ファンディング(QF)やトークン投票型DAOの持つ問題を指摘し、より良い解決策を模索しています。
特に、予測市場に基づいた資金調達やDAOのガバナンスモデルに注目し、Devanch氏が主導する「Deep Funding v2」といったプロジェクトを支援しています。これは、予測市場と審査メカニズムを組み合わせることで、質の高い意見を効率的に集約し、少数の中心人物に左右されない「オープンアクセスな秩序」を構築することを目指しています。社会の進歩に貢献するプロジェクトを、いかに公平かつ効率的に支援していくべきか――この問いに対するイーサリアムなりの答えが、今、形になりつつあります。
2.3. プライバシーと国家:規制とのバランスをどう取るか
金融プライバシーは、マネーロンダリングや犯罪利用の懸念から、国家による規制の対象となりがちです。しかし、ヴィタリック氏は、プライバシーを強化する「プライバシープール」(例:Railgun)のような技術が、悪意のある資金の移動を防ぐためのメカニズムも内包していると説明します。実際、DeFiハッキングから盗まれた資金がプライバシープールを通じて移動しようとした際に、ブラックリスト化によって阻止された事例も出てきています。
彼はさらに、国家安全保障の観点からもデータ収集の最小化が重要であると主張します。中央集権的なデータ収集システムは、ハッキングされた場合に国家全体のセキュリティを危険にさらす「脆さ」を抱えています。フィアットシステムにおける悪意のある活動の事例を引き合いに出し、ブロックチェーン上での透明性と追跡可能性が、むしろ従来のシステムよりも優れた悪用対策を提供しつつ、ユーザーにはより高いプライバシーレベルを提供できるという見解を示しています。
「データ収集を積極的に最小化することが、実は安全な行為であり、私たちが目指すべき方向です。そして、プライバシーを保護する金融はその一部なのです。」
プライバシーとセキュリティ、そして規制とのバランスは、一見トレードオフに見えますが、ヴィタリック氏は技術と適切な設計によって、これらを両立させる道があると信じています。
3. イーサリアムの未来を形作る戦略:L1スケーリングとL2の共存
スケーラビリティはイーサリアムが長年直面してきた最大の課題の一つです。ヴィタリック氏は、レイヤー1(L1)とレイヤー2(L2)がそれぞれ異なる役割を担う「バーベル戦略」を通じて、この課題に挑むイーサリアムの具体的な戦略を解説します。
3.1. 「世界台帳」としてのL1強化:ガスリミット引き上げと新技術
イーサリアムL1が「世界台帳」(不動産の登記簿や会社の会計帳簿のように、価値のある重要なものを確固たる形で記録・管理する信頼性の高い共有データベース)としての役割を十全に果たすためには、より高い処理能力が不可欠です。しかし、L1をスケーリングする際には、ネットワークを危険にさらしたり、ノード運用を中央集権化させたり、ステーキングエコシステムを破壊したりしない「安全な」方法でなければなりません。
ヴィタリック氏は、以下の新技術を組み合わせることで、この目標が達成可能であると見ています。
- ZK-EVMs(ゼロ知識証明を活用したイーサリアム仮想マシン): L1のガスリミットを3〜5倍に引き上げても、ソロステーカー(個人でイーサリアムの検証者ノードを運用する人)がチェーンを検証する負担を軽減できます。これにより、少数のステーカーがZK-EVMsに依存しても、全体の分散化が損なわれない「ステージ1」の状態を達成できると彼は語ります。
- 履歴データ有効期限(History Expiry): ノードが過去全てのブロックデータを永続的に保存する必要をなくすことで、ストレージ要件を大幅に削減します。既にマージ(PoS移行)以前の履歴データは有効期限切れとなり、さらには「36日」という長期的な目標が設定されています。これにより、ノードの運用が容易になり、分散化が促進されます。
- ブロックレベルアクセスリスト(Block Level Access Lists): 各ブロックの実行時に、そのブロックに含まれる全てのトランザクションを並列で処理するための「ヒント」を生成する技術です。これにより、ノードはブロックを並列実行できるようになり、高いガススループット(処理能力)レベルでも安全にイーサリアムを運用することが可能になります。
これらの技術は、数年前には存在しなかったか、十分に成熟していなかったものであり、L1の能力を飛躍的に向上させながら、分散化とセキュリティを維持するための道筋を明確に示しています。
3.2. L2との理想的な関係性:「バーベル戦略」で「魂」を守る
HFT(高頻度取引:ミリ秒単位の速度で取引を繰り返す金融取引手法)のような超低レイテンシを追求する活動は、極めて高い速度と物理的な近接性(コロケーション)を要求するため、中央集権化のインセンティブを生み出しがちです。ヴィタリック氏は、L1がこのようなHFTゲームに過度に最適化すると、イーサリアムの根幹にある「魂」(分散化、オープンネス、検閲耐性)を失う可能性があると警鐘を鳴らします。
そこで彼は、L1とL2の役割分担を「バーベル戦略」に例えて説明します。
「イーサリアムのバーベル戦略、L1とL2のそれは、L2が中央集権化を必要とする事柄を処理し、HFTのような中央集権化の恩恵を受けることを目的としています。同時に、L2はL1からセキュリティと検閲耐性の恩恵を受け、L1はこの共有された活動のプールに貢献する恩恵を受けます。」
この戦略では、L2が機動性と速度を追求し、HFTのような高負荷な活動を吸収する一方で、L1は揺るぎないセキュリティと検閲耐性という「魂」を守る基盤となります。これは、AI経済のようにAIが人間よりもはるかに高速に思考・取引を行う未来において、グローバルなL1が全ての取引を処理するのではなく、L2が「都市台帳」のように機能することが自然な解決策となる、というヴィタリック氏の洞察にも繋がっています。
3.3. ETHの経済的中心性:L1上での資産発行とネットワーク効果
イーサリアムエコシステムの経済的整合性を保つ上で、ETH(イーサリアムのネイティブトークン)は不可欠な「核」です。ヴィタリック氏は、L2上での活動が活発になる中でも、資産がL1上で発行され、標準的な預け入れ・引き出し機能を通じてL2間を移動することが、L1の関連性とセキュリティモデルの明確性を保つ上で極めて重要であると強調します。
もしL2が独自の資産を発行し、それぞれのカスタムブリッジを通じて移動するようになると、L1の役割が低下し、セキュリティモデルが複雑化する可能性があります。L1上で資産が発行されることで、これらの資産はよりトラストレス(信頼できる第三者に依存しない)な形でL2間を移動でき、アプリケーションが様々なL2を横断してシームレスに機能することが可能になります。
ヴィタリック氏は、L2からL1への引き出し時間を現在の1週間から「1時間、あるいは12秒」といった極めて短時間まで短縮することの重要性を強調します。これにより、L1ベースの資産移動が経済的に実行可能となり、L1がエコシステムの経済的中心であり続けるための強力なインセンティブが生まれます。ETHは単なる「ガス代」ではなく、エコシステム全体の「インク」として、そのネットワーク効果を通じて、いかにその価値を維持・強化していくかが、今後の重要なテーマとなるでしょう。
4. イーサリアムが描く次の10年:技術の完成と社会への影響
イーサリアムが20周年を迎える頃、どのような姿になっているのでしょうか。ヴィタリック氏は、技術ロードマップの終着点と、それが社会にもたらす変革について語ります。彼の最終的な目標は、トラストレスなセキュリティが社会のデフォルトとなる未来です。
4.1. 技術ロードマップの終着点:ZK-SNARKsによる「完全な検証」へ
次の10年で、イーサリアムの技術ロードマップは「少なくとも何らかの完成ライン」に到達するとヴィタリック氏は展望します。その中核となるのは、ZK-SNARKs(ゼロ知識証明)技術の全面的な活用です。
- ZK-SNARKsによる「全ての検証」: イーサリアムの全てのコンポーネントがZK-SNARKsによって検証可能になり、セキュリティと効率が究極的に高まります。
- コンポーネントの最適化: 現在の非最適化な部分(例: KeccakをPoseidonに、EVMをRISC-Vなどより良いものに)を、必要に応じて置き換えることで、システム全体の性能を向上させます。
- 超軽量ノード: 全てのノードが「超軽量化」され、ユーザーはわずか80GB程度のストレージと低計算コストで、自身のデバイスで完全に検証可能なノードを運用できるようになります。
- プライバシーのデフォルト化: 支払いからより複雑なDeFi(分散型金融)の機能に至るまで、プライバシーがユーザー体験のデフォルトの一部となります。
- 自己保管の容易化: ユーザーが自己主権的に資産を保管し、管理するための選択肢が、一般ユーザーにとっても使いやすい形で提供されます。
- 形式的検証の実現: イーサリアムのプロトコルが、DApps(分散型アプリケーション)のトップレベルから、イーサリアムクライアント、さらにはオペレーティングシステム、そして究極的にはハードウェアに至るまで、形式的に(数学的に)検証され、そのセキュリティが保証される世界を目指します。
この「完全な検証」の世界は、ソフトウェアのバグがゼロに近づく未来であり、AIの進化がそのプロセスを加速させるとヴィタリック氏は予測しています。
4.2. トラストレスなセキュリティの普及:HTTPSからブロックチェーンへ
ヴィタリック氏の長期的な夢は、HTTPS(ウェブサイトの暗号化通信プロトコル)がウェブのセキュリティを当たり前にしたように、「信頼できる第三者に依存しない(トラストレスな)セキュリティ」が社会のデフォルトとなることです。
「セキュリティのために『私を信頼してくれ』という時代は、水をきれいにしない時代が私たちにとって古く見えるのと同じくらい、時代遅れに見えるようになるでしょう。私たちはHTTPSで既にそれを達成しました。他の全てのことにおいても、そこに至る必要があると思います。そして、イーサリアムはその実現に大きく貢献できるはずです。」
金融インフラがイーサリアム上でデフォルトで動作し、ユーザーが自己主権的に資産を管理し、プライバシーを保護できる未来を目指します。これは、現代社会の脆さ(中央集権的なデータ収集によるセキュリティリスクなど)を克服し、個人が自身の自由と自己主権を真にコントロールできる、より強靭で開かれた社会を創造することに繋がると彼は信じています。
4.3. ヴィタリックの今後の役割:イーサリアムを超えた貢献
イーサリアムの創設者として、ヴィタリック氏の役割は今後も進化し続けるでしょう。彼は、イーサリアムの技術的完成に貢献しつつ、より広範な分散型自律コミュニティ(DAC)の取り組み、例えばバイオディフェンスや、スタックのより低いレイヤーにおけるセキュリティ確保といった分野にも関与していくと述べています。
彼のビジョンは、単一のブロックチェーンプロジェクトに留まらず、「フルスタック(システム全体)でオープン、セキュア、そして信頼できる世界」を築くための多方面にわたる貢献へと広がっています。2011年にビットコインに参加して以来、彼が抱き続けてきた「分散化された、より良い世界」という目標は、イーサリアムの次の10年、そしてその先へと力強く進んでいくでしょう。
結論:変化の波を乗りこなし、普遍的価値を追求するイーサリアム
ヴィタリック・ブテリン氏の言葉は、イーサリアムが単なる技術プロジェクトではなく、分散化、自己主権、そして信頼できる社会という普遍的な価値を追求し続ける壮大な挑戦であることを示しています。過去10年の目覚ましい成長と、The DAO事件やPoS移行の遅延といった予期せぬ困難を乗り越えてきた経験は、次の10年へと続く強固な土台を築きました。
L1スケーリングにおけるZK-EVMsや履歴データ有効期限、プライバシーのデフォルト化への取り組み、そしてL1とL2の健全な共存を目指す「バーベル戦略」を通じて、イーサリアムは自己の「魂」を守りながら、金融から社会構造に至るまで、より開かれた未来を創造しようとしています。ヴィタリック氏が描く「トラストレスなセキュリティが社会のデフォルトとなる未来」は、私たち一人ひとりのデジタルライフを根底から変革する可能性を秘めています。
この複雑で魅力的なイーサリアムの世界をさらに深く探求するために、ヴィタリック氏の公式ブログやイーサリアムの公式ドキュメントを参照し、ご自身のデジタル主権を強化する一歩を踏み出してみませんか。Web3の未来は、私たち一人ひとりの理解と参加によって形作られていきます。

